二通いただいたメールの返信を帰ってきてから打っていたのですが、
言葉を選ぶのって難しい。
文章かいてる時より、手紙とかの方が難しいですよね。
ブログではいつも長々と書いているけど、 ある特定の方に向けてお手紙って違うと思うんです。
しかも、相手の方が尊敬している方で、 文章がお上手だと分かっていれば、尚更。
だって 自分の国語力が恥ずかしいじゃないですか。
足掻いたって 納得いくものができるわけでもないのですが。
というわけで、なかなか返信できないのです。
言い訳でしかないんですけどね。
・・・ そんな お話。
戯言を友達に薦めたあとの小論文の授業で
「いやー 今 戯言読んでるから こんな文章になっちゃった。」
といわれたことがあります。
互いに添削しあう、っていう授業で、 私がその子の小論文に赤ペンを入れた時なんですけれど。
私、 自分の文章は上手く直せないのですが、他人の文章に対してのある程度の見る目は なかなかに育っていると 自分では思っていて(←自己満
それで、その子の文章をガンガン直したんですよね。
で さっきの一言。
・・・ んーと
何が言いたいかというと、
自分の文章も 西尾さん的になりつつあるのが、危ないよな、ということです。
一番上の、 言い訳文章。
しかも特に意味はもたないあたりが 西尾さん・・・(←
模倣になっちゃうのは だめですよね。
文章を書く上で自分のスタイルというのは持っておきたいし、
いろんな本をもっと読むことが必要だと思います。
だから、
オーディン(というか北欧神話)の勉強をしにいって、
何故か 図書館模型作りの手伝いをやってた、 なんてことじゃ だめなんだよなー
ただ 訳本では 日本語がすばらしくないので、
やっぱ ちゃんと 文学作品を読まなきゃ と 思います。
だからと言って、 太宰さんとかの文章は 読みやすいけれども上手いとは思わないので、
(クローズアップ現代で『ブログ的』と評されていました)
とすると 綺麗な日本語って なんなのだろう・・・
飾り立てた言葉ではなく 生きているもので、
尚且つ、 正しく 綺麗な日本語。
・・・ んー
そんな作品ってあるのかなぁ・・・・
村上春樹さんの文章は 淡白だと 個人的には思います。
短編しか読んだことないけれど、
父親が言った『トムソーヤ』的 ってのは、 ものすごく納得でした。
と 日記事業に入ります。
本日は雨天なり。
というか 昨日ですね。
雨 降りました。
演劇部みんなの雨乞いがききました。
というわけで、
・・・ そうですね。
心置きなく 演劇やってきました。
楽しかった。
とにかく 楽しかったです。
友達、 というほどの友達はできませんでしたが、
周りの人々 みんないい人です。
多分 二年と思われてないような気がするけど。
ご挨拶まわりも いろいろとしました。
友達とか、
とりあえず、 この前教えに来てくれた先輩の後輩たちとか。
演劇やってる男の子ってそんな匂いしますね。
女の子特徴ないんだけどなー・・・
というわけで。
そのあと睡眠して 今週のリボーン録画編をみて 今に至る。
雨が降ったということは、
補習が進んだということであり、
それはそれで いろいろと問題があるということに いまさらながら気づく
馬鹿な風名なのでした・・・・
数学 やばいなぁ。
あ あと、 他の人々のブログを見ながら さわやかにつっこみたいのだけれど、
「追記」の意味が よくわかりません。
なんでそこ 追記にしたのー と よく思う。
(クリックが面倒くさい & もし携帯だったら一行のためだけにパケットかかる ←)
あと 「ちゃんとかいたよー」 という 謎の更新・・・
日記は、 書きたい人が書きたい時に書けばいいと思いますが・・・ ま 別にいいですけど (あたしかんけーないし)
・・・ なんでかなー と 思っただけです。
自分の日記も 他人からみれば相当 なんだろなー って感じだとは思いますが。
そーいえば 自分と同じスタイルの日記って みたことないですね。
というか これって 日記のスタイルあるのかなぁ・・・
だって、 吉田兼好も吃驚なほど 本当に つれづれなるままにひぐらしPCにむかひて、 って感じじゃないですか(←
いや、
別に ひぐらし向かってる訳ではないですけどね。
目が痛いので この辺で。
そろそろ勉強しなくてはいけないだろう学業を修めることが職業の風名でした。
学校の名前が そういえばそんなかんじです
↑感じ・漢字
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